【 新暗行御史(しんあんぎょうおんし):名言 part.7 】元述(ウォンスル)に語った文秀(ムンス)の言葉 ~『 救世主 』なんていない!!ということを教えてくれる名言~
こんにちは、キトスですo(* ̄▽ ̄*)o
皆さん、『 新暗行御史(しんあんぎょうおんし)』という漫画をご存知でしょうか?!
『 生きる 』ということの本質を突いた、非常に面白く、奥の深い、知る人ぞ知る名作です(≧▽≦)///
この『 新暗行御史 』を簡単に紹介させて頂いた記事を、コチラに載せておりますので、宜しければ一度、ご覧下さい<(_ _)>
success-smile-kitos.hatenablog.com
今回は、文秀(ムンス)がかつての部下であった元述(ウォンスル)に語った名言について、お話しさせて頂きたいと思います<(_ _)>
ちなみに、元述(ウォンスル)とは、かつて東洋に存在した大国『 聚慎(ジュシン)』の最強の剣士であり、快惰天(カイダテン)という悪獣との戦いを勝利に導いた戦士です!!
~『 救世主 』なんていない!!ということを教えてくれる名言 ~
どのような状況の中で、文秀(ムンス)が元述(ウォンスル)に上記のような言葉を語ったのか、少しお話しさせて頂きたいと思います<(_ _)>
元々、元述は文秀の部下でした。
元述はとても文秀を信頼していました。
上司としてだけでなく、人間として尊敬し、良い意味で畏怖していました。
しかし、東洋の大国『 聚慎(ジュシン)』が滅びた後、元述は途方に暮れてしまい、あろうことか、世の中を混乱に導く悪魔の化身『 阿志泰(アジテ)』に屈してしまうのです。
元述は、文秀に再会した時に、様々な思い・感情が渦巻く中、文秀に対し怒りという感情をぶつけてしまうこととなります。
その結果、文秀の仲間であり、彼の護衛をしていた最強の女剣士『 春香(チュンヒャン)』にやられてしまいます。
元述が亡くなる直前に、文秀が語った元述への言葉が、上記の言葉となります・・・。
文秀は、元述の弱さを知っていたのかもしれません。
上官からの命令が無ければ動くことが出来ない、自分で考えようとしない、元述自身の弱さを、文秀は知っていたのかもしれません・・・。
文秀の部下だった頃は、文秀の命令に従っていればよかったですし、元述はその命令に対し疑問を持つことはなかったと思います。
それだけ文秀のことを信頼していたはずですし、その命令が自分たちの未来を明るいものにしてくれると確信していたからだと思います。
ただ、そこには元述自身がどうしたいのかという考えは無かったでしょうし、自分の人生そのものを文秀に依存してしまっていたところはあったのだと思います。
それが原因で、大国『聚慎(ジュシン)』が滅んでしまい、目の前から文秀がいなくなってしまった時に、自分自身に沸き起こる混乱に対し、拍車が掛かったのでしょう。
どうすることも出来なくなり、途方に暮れてしまったのだと思います。
そして、目の前に現れた最凶の悪魔の化身『 阿志泰(アジテ)』に従ってしまったのですね。
それを文秀はおそらく分かっていたからこそ、元述に上記の言葉を語ったのだと思います・・・。
『 救世主なんていない、ということだ。 』
元述は、途方に暮れていた時に、救世主を求めたのでしょう。
自分に都合の良い、救世主を・・・。
それがあろうことか阿志泰だったのです。
さらに文秀は上記の言葉でこのようなことを言っていますね・・・。
『 真っ暗闇の中で・・・・・・・・・
たとえ光を見つけたとしても・・・・・・
それは・・・
たまたまそこにあった光に過ぎん。
なんも意味なんてねぇんだ。
うっかり手を差し出せば・・・・・・・・・
光の裏にあるさらに暗い闇に、飲み込まれてしまうだけだ。』
元述は、真っ暗闇の中で、たまたまそこに現れた阿志泰という光に、うっかり手を差し出してしまい、さらなる暗い闇に飲みこまれてしまったのです。
元述は、もしあの時、目の前に阿志泰ではなく文秀が現れたならば、文秀に従っていたと、文秀に話しています。
結局はそういうことなのです・・・。
目の前にたまたま現れた光が、たとえどんなものであろうとも、その時に光であると感じたのであれば何でも良かった。
その考え方がどれほど危険であり、自分自身を貶めてしまうものなのかを文秀は知っていたのでしょう・・・・・・。
かつての部下が、阿志泰の手によって落ちぶれてしまい、死に逝く様を目の前にし、阿志泰に対しさらなる憤りを感じるのと同時に、元述の弱さに文秀は嘆かずにはいられなかったと私は思います<(_ _)>
今の現代社会でもそうです。
途方に暮れていた時に、つい、甘い言葉に引き寄せられてしまう人は少なくないと思います。
その結果、自分の身を滅ぼすことになりかねない・・・。
身を滅ぼしてしまった人もいるかもしれません・・・。
『 救世主なんていない、ということだ 』
この言葉は、文秀の悲痛の叫びのようにも感じられますし、今を生きる人間に対しても投げかけられている言葉のように思います・・・。
都合の良い救世主はいません。
いくら途方に暮れていたからといって、絶望にうちひしがれていたからといって、自分の意思で、自分の信念で考え、行動しない人間には、本当の光が照らされることは無いのです。
何もしなくても、嘆いてさえいれば助けてくれるような、自分に都合の良い救世主はいないのです・・・。
だからこそ、自分の意思で考え、希望する未来の実現のために行動できる、行動する心の強さ、信念が大切になるということです!!
それさえ持っていれば、必ず自分の足で立ち、前に進むことが出来ます!!
文秀は、死に逝く元述の姿を目の前にし、そのような強さを持っていて欲しかったと思っていたのかもしれません・・・。
『 自分の意志で生きる 』こと尊さ、そして人の強さの意味、を教えてくれる名言なのではないかと、私は思います<(_ _)>
今回の名言は、『 新暗行御史(しんあんぎょうおんし)』の第四巻に描かれております(^-^)///
是非一度、手に取って頂き、じっくりと読んでみて下さい<(_ _)>
自分の意志で人生を生きることの尊さ・大切さ、そして人の強さとはどういうものなのかを、読み解くことが出来るかもしれません・・・(>_<)
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この記事を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
皆さんの日常が、よりハッピースマイルになることを心よりお祈りしております。
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